佐賀の焼き物と、武雄の窯元 — 抹茶椀を巡る取材ノート
佐賀・武雄の窯元を訪ねた取材ノート。焼き物を暮らしの彩りとするご主人の言葉と、「2020年」「2021年」と名付けられた器のエピソードを、写真とともに残す。

当園では、これから抹茶椀も取り扱っていこうと考えています。その背景には、佐賀が日本有数の陶磁器の産地であるという事実があります。有田焼、伊万里焼、波佐見焼が磁器として名を連ね、武雄焼は陶器と磁器の両方を生む——名前は違っても、いずれも長い歴史と深い技術に支えられた焼き物の世界です。松壽園が抹茶椀の窯元として向き合うことにしたのが、佐賀・武雄にあるこの一軒です。

有田焼は、佐賀県有田町を中心とする磁器で、1610年代ごろから続く日本磁器の原点のひとつ、国指定の伝統工芸品です。伊万里焼は、もともと伊万里港から海外へ出荷された磁器の総称で、中身の多くは有田やその近郊の窯元の作品。別の技法というより、流通の呼び名に近いものと言えます。波佐見焼は長崎県波佐見町にあり、有田と同じ系譜の磁器地帯として、江戸以降、日常器の大量生産でも知られています。武雄焼は武雄市の地場の焼き物で、四百年以上の歴史があり、今も九十か所以上の窯元が、磁器と陶器の両方を手がけています。

今回訪ねた窯元は、有田焼の系譜を受け継ぐ呼び名を持ちながら、武雄の地で器を手がける工房です。伊万里や波佐見の産地そのものではありません。花器を専門としつつ、手ろくろの抹茶碗や茶道具にも取り組む——日用の器を、日々の現場でつくり続ける一軒です。武雄では陶器と磁器が共存します。ここで生まれる器は流通上「有田焼」と呼ばれることもありますが、それがすべて磁器というわけではありません。一方、有田・伊万里の磁器は江戸時代から海外へ渡り、日本を代表する輸出陶磁器としての歴史を持ちます。格式ある磁器の系譜と、武雄のような日用の焼き物が、同じ佐賀に並んでいる——国内でも、そうした両方を一度に見られる産地は稀です。

取材の日、窯元のご主人が優しく出迎えてくださいました。現在はご主人と奥様のお二人で窯を守られています。姫路焼き物フェスや波佐見陶器市など、全国各地の催しにも出品されているそうです。工房の中には、ろくろ、釉薬の桶、窯、素焼きの椀が並ぶ棚。作り手の手仕事がそのまま残る、静かな空間でした。

ご主人は、こう語りました。「焼き物を作っているのは楽しい。人様に使っていただけるのがありがたい」。職人の作品という固定観念にとらわれず、職人として驕らず、さまざまな人に手に取ってもらう——その積み重ねのなかで、焼き物に商品としての価値を与えてきた、と。

「焼き物」と聞くと、高く、触れにくい作家の作品というイメージが先行しがちです。けれど、ご主人の話を聞いて、焼き物は暮らしの中に彩りを添える商品でもある——そう感じました。たとえ高価で、格式ある器でも、誰の目にも触れなければ意味をなさない。その考え方そのものが、ご主人の人柄に表れているように思います。

その人柄がよくわかるエピソードがあります。ある日、四、五歳くらいの子どもを連れた女性が窯元を訪れたそうです。子どもが気に入った焼き物を購入すると、ご主人は冗談交じりに言ったといいます。「一年たったら、その器を割ったら、また買いに来られるよ。そしたら、おじちゃんに会えるよ」。焼き物は、壊れない限りなかなか買い替えないもの——ご主人は、そのことを知っていたからこその一言だったそうです。

ところがその子どもは、本気に受け取りました。一年後、もう一度「焼き物のおじちゃん」に会いたくて、本当に割ろうとした——が、割れなかった。子どもはその器に「2020年」という名前をつけ、壁に飾ったそうです。翌年、「2021年のやつを買いに来た」と、わざわざ伝えに来てくれた。その話を聞いたとき、ご主人は涙が出たとおっしゃいました。人と人とのつながりを、何より大切にしている——エピソードが、それを物語っています。焼き物は、そのつながりのためにある。同時に、器そのものの大切さも、きちんとわかっている。私たち松壽園も、商いを通じて人と人をつないでいる。その媒質として、商品がある。だからこそ、金銭のやり取りだけでなく、想いを載せることが大切なのだと、改めて感じました。
